動物の気持ちなんてわかってたまるか
バイトが終わって家に帰る。鍵を開けて扉を開けようとすると横に一匹の猫がきた。
ああ、またコイツか。
夜の玄関ではたまにコイツに遭遇する。
コイツは向かいの家の猫で飼い猫なわけだが、外に追いやられているのか家から勝手に出て入れてもらえなくなっているのかわからないがよく外にいる。
人間以外、もっと言えば自分以外の生き物に対して好意的ではない僕は勿論コイツのことに関心はない。けど今日は気が向いたと言えばいいのかわからないけどコイツに付き合うことにした。
玄関の段差に腰をかけ、猫に話しかけてみる。さっきまでニャーニャー言っていた猫は僕の言葉には耳を傾けない。反抗期か。
まあいいか、と思い適当に話しかける。家に帰りたいのか、お腹が空いているのか。人が恋しいのか、寒いだけなのか。
質問しても帰ってくる言葉はない。ニャーくらい言ってもいいだろう。そんなことを思いながら時間は過ぎてゆく。
時折、ニャーとコイツが言うときは大抵僕が話しかけていない時だ。言葉が通じないのだから返事をするのは僕が質問した時だけにしてほしい。
もし猫と意思疎通ができたら、と考えてみる。もし仮にもそれができるのなら僕は無意味な質問をする必要はないし、猫だって家に帰りたければ帰りたいと言えばいい、お腹が空いたならご飯よこせと言うだけでいい。
たったそれだけのこと。そんなこともできないから猫や他の生き物と話すことなんて滅多にないけど、今日は話してみた。
僕が動物を嫌っている理由と言ってもいいことがそういうところにある。彼らは僕と意思疎通ができない。どれだけ頑張っても。
たまに動物と意思疎通ができる風の人がいるが僕は信じていない。少なくとも僕の目には、そうは見えない。
ある状態に「喜び」という名前をつけたのは人間であり、それを猫に当てはめるのは価値観の押し付けではないだろうか。
その状態の時に猫は悲しんでいるかもしれない。
嬉しい時に人は嬉しいといい、悲しい時に人は悲しいということができる。が、
猫は、嬉しい時も悲しい時もニャーというしかない。
コイツが何を考えているかなんて考えても無駄だし、何を考えていたとしてもいまの僕には限度がある。よって何もしない、深入りしない。
そんなことを考えていると、僕は話の通じないコイツといる時間はとても苦手だが、たまにならなしではないかなと思った。
コイツが僕の方をみて、僕も見つめ返す。コイツが離れていって、僕が話しかける。コイツが近づいて来て、温度を手で感じる。
悪くない。
10年以上ぶりに猫に触ってみた。横に来たから触っただけだけど、コイツは普通に暖かくて脈を打っていた。コイツも生きているんだなと思った。無論何を考えているかはわからないけど。
今日はやることがあったので飼い主の家にコイツを返してお別れすることにした。コイツの飼い主のお家は基本的に鍵がかかってないのですぐに返すことができた。
家に帰りたかったかはわからないが風邪を引くよりはマシだろう。これも主観でしかないが。
僕といた数分間彼が何を感じたのかは知らないし知る余地もない。し、知る気もない。ただ、アイツ悪い奴でもねえなと思ったのでアイツもそれくらいは思ってくれているだろうか。
今度会ったらもう一回話しかけてみよう。わかりきっている返事が待ち遠しい。