脳内ワールドからさっさと飛び出したほうがいい
そこのゼミに行く理由はなんでもいい。が、2年もしくは3年はその教授の元で最低でも週1回学ぶことを忘れないように。
ゼミ選びが2年生のこれぐらいの時期から本格的に始まって悩んでいる人は少なくないと思う。
多分選び方は、友達が行くから、サークルの先輩がいるから、教授の講義を受けて分かり易かったから、卒論が簡単だから、これくらいかな。
それぞれフォーカスを当てている部分は友達、先輩、教授、クリア難易度、といったところだろうか。
僕は理工学部だから名目上研究室配属だけどゼミとなんら変わらない。教授も「次回のゼミは〜」と言っている。名前に意味はない。
そこの研究室に入った理由は大したものではない。
決められたテーマの中で興味を持ったのがORで、佐々木の文字がたまたまあって一次選考でたまたま通ったからだ。別に鈴木でも三浦でもよかった。一次選考が通らなければ別の研究室を希望していたかもしれない。本当のことを言うと、そもそもそんなに考えている人はいないのではとすら思ってしまう。
考えている人はいないけど、悩んでいる人は少なくない。
悩んでいる人は一見考えているようにみえるけど蓋を開けてみるとそうでもないと感じることがある。
同じことを1ヶ月も2ヶ月も言っている人は2ヶ月目には悩んでいることを人に発信することに快感すら覚えているし、結論を出さないところに結論を持ってきている。多分その人は次の月も同じことで悩んでいる。仮にイエスかノーを出すなら無理やり何かに引っ張られる意外のケースではノーにするだろう。イエスという結論を持ってくるならもっと早くに決まるはずだし、人間は判断を遅くすればするほど何もしないことを選ぶ傾向がある。
しかし、イエスを選んだ結果ノーの方が良かったかもしれないと思うのを恐れて悩むことがよくあるのも理解ができる。逆も然り。
どっちがいいかなとみんなに聞いて回ったり、研究室訪問で数十分の間教授やそこのゼミの先輩と話したり。しかし、僕は言いたい
そんなもので何がわかるかと。結局は運。
そんな言い方は非常に投げやりで、一部から非常に反感を買いそうだがあえて、はっきりと言い切りたい。
今回の話で例えると、AとBのゼミがあったとして、Aが楽しかったからAで良かったと結論づけることはできるがBよりAの方が楽しいから良かったと言い切ることはできない。Aに所属するとBを体験することはできないからだ。もし何か言えるなら「Aに入ってみたら楽しかったから、良かった」だ。
Bに入った人からBが面白くないという話を聞いたとしも、その人がつまらなかっただけで他の人は楽しいと感じることもあるので一概に鵜呑みにするのは必ずしも良いとは言えないだろう。
だから、そんなに気にしなくていいと思う。これはゼミ選びに限ったことではないが何かを決断する時に普通以上の悩み方をする人がいる。散々考えてわからないわからないとするより一度合ってるか間違ってるかもわからないところに飛び込んで見るのもいいんじゃないか。脳内ワールドからインプットは得られない。
なんとかなるようにできている。さあ、行動だ。
ちなみに僕の研究室は10月の月火木金の昼休みに研究室訪問あるらしいので、気になる方はぜひ。