40年後には差額でフリーザも倒せるようになる
明日から値上がりです〜。
僕はいつもより二箱多く購入しコンビニを後にした。
先ほどコンビニに行ってタバコを買ってきた。いつもコンビニでレジをしている彼女がタバコの値上がりを宣伝していた。「明日から値上がりです〜。」その言葉に煽られタバコを3カートン購入するおじさん、そしていつもより多く購入した僕がいた。タバコを吸わない人から見たらなんて滑稽な姿にみえるだろうか。
僕が吸っているタバコはショートホープ、ハイライト、アイスブラスト(ライブ時)、基本はショートホープを吸っている。
これが僕が吸っているショートホープだが、中身は10本でフィルターが短く知っている人にはおじさんくさいと言われがちだ。(同様にハイライトもおじさんくさいらしい)
調べたところによると発売当初は一箱40円で売られていたらしいが、物価上昇や消費税の引き上げにより明日から一箱250円になるみたいだ。
僕がホープを吸い始めた頃から今日までの値段は一箱230円だったので明日から20円値上がることになる。
吸わない人からしたらどうでもいいことだとは思うがこの値上がりが喫煙者にどれくらい影響するかを金額面で調べてみようと思う。
例として普段の僕の喫煙量で1ヶ月にかかるタバコの金額を計算してみよう。
吸うタバコはショートホープのオリジナル。僕は普段は一日平均10~15本、バイト時は20本、飲み会やオールなどがあると50本くらいだろうか。バイトは平均週3回くらい、飲み会、オールは月に4回くらい。
計算してみた。計算方法はこうだ。
上記の内容を踏まえた上で、(1日に吸う本数)×(日数)÷(一箱の本数)×(一箱の値段)
合計を引き算してみると16625-15295=1330で、毎月平均して1330円余分にかかることがわかる。一見1330円ならそれほどでもないと思う人もいるかもしれないがこれが一年で15960円、その後40年値段が変わらずに250円のままだとしても638,400円損をすることになる。(もっとも、値段が250円で止まることは考えられないが)
1330円ならそんなものかと感じたとしても、638,400円を突き出されるとそうはいかない。63万円もあれば僕が毎月支払っているお金全額がチャラになる。それでもチャラだが...
戦闘力に例えるならば、フリーザ様すらも子猫のように扱うことができるだろう。(第一形態に限る)
と行った感じで、今回のタバコの値上げは喫煙者にとって甚大な被害を及ぼしていることがわかる。
実際僕も計算してみたとき結果に驚きを隠せなかったがどうやら本当らしいのでお金持ちになるしかないことを悟った。
辞める気はない。
ええ顔に生まれたやつは親に感謝せえよ
ええ顔とは、一概にイケメンや美人のことを言っているわけではない。
第一印象は3秒から5秒の間で決まる。3秒から5秒で相手のことなどわかるはずはないが第一印象はその短い時間の中で決まり、その後の聞き手の受け入れ態勢にひどく影響する、良くも悪くも。
超短時間の中で人を判断してしまうのだから恐ろしい話ではあるが、何が人を判断するのかというと視覚情報だ。もちろん長くても5秒ほどしかないのだから話の内容で判断したりすることはない。どれだけあなたが人を見た目で判断しないと言い張っても無意識化の中で勝手に判断されてしまう。
そして、この人は話しやすそう、怖そう、裏がありそうなどという風に印象が形成されていく。
悲しくも現実にはこういう事実がある中で、ええ顔の人はこの第一印象でマイナスのイメージになることは限りなく少ないだろう。
何がいいかは言葉では言い表せないが、"何か、良い人そうな人"。
例えば芸能人でいうと笑福亭鶴瓶や明石家さんま、僕の所属している軽音団体でいうとT.H氏などが当てはまるだろう。
彼らは何もしていなくてもいい人にみえる。T.H氏は実際にとてもいい人ではあるが、彼がとてつもない悪巧みをしていたところでそれに気づける人間はまずいないだろう。
そしてこれがどれほどメリットのあることなのか、第一印象で損している人達はよくわかるだろう。新しいコミュニティに参加した時、周りに知り合いもいない中で自分をアピールすることができるのはみてくれと話の内容、声のトーンなどになるわけだ"何か、良い人そうな人"達はそれが努力によるものではないのならたやすく新しいコミュニティに参加できる。
"何か、良い人そうな人"だけでなく、"何か、賢そうな人"なども上記と同じような状態を作り出すことができる。
"何か、賢そうな人"が言った発言はそうでない人の発言より正しいと思われやすい。
メラビアンの法則というものを知っているだろうか。メラビアンの法則とは、話し手が聞き手に与える影響は「言語情報」「聴覚情報」「視覚情報」の3つから構成され、それぞれを研究と実験に基づいて数値化したものである。
言語情報とは、話し手が発する言葉そのものの意味や、言葉で構成される話の内容の事を指す。この言語情報を使ったコミュニケーションを「言語コミュニケーション」「バーバル・コミュニケーション」とも呼ぶ。
聴覚情報とは、話し手が発する声のトーンや大きさ、また、話し方(口調)や話す速さ(テンポ)などを指す。
視覚情報とは、話し手の表情や目線、そして態度や仕草、また見た目などを指す。身体言語(ボディーランゲージ)と呼ばれる事もある。この「視覚情報」、そして先ほど述べた「聴覚情報」を使ったコミュニケーションを「非言語コミュニケーション」「ノンバーバルコミュニケーション」と呼ぶ。
これらを数値化すると、実に55%を視覚情報がしめる(ちなみに言語情報は7%、聴覚情報は38%である)。そしてこれは、相手を判断するときに半分以上見た目で決まるということを意味している。
これは非常に残念な結果で、例えば、全然優秀じゃないけどとても優秀そうな見た目をしている人と、とても優秀だが見た目がアホそうな人がいたとして、何か頼み事をするときに人は前者に頼みがちになるということである。それでは頼み事をする人はせっかく能力のある人が近くにいるのにそれを利用するチャンスを失ってしまうことになる。
だからと言ってこれを変えることは難しい。じゃあこれから第一印象やイメージだけで決めつけるのではなくちゃんと中身を見てから決めようと思っても、無意識化で行われる判断に人の意識はついていけない。
唯一できることといえば、"そういうことがある"という認識をすることだ。
生命の退化論はネタだけどツボ
先に記述しておくが、本文に登場する彼は天然とかアホの類ではない。むしろ、とても賢い。
なんでみんな海に入ろうとするの?
彼は言った。彼とは僕と同じ団体に所属するギター担当の子だ。
普段まともに話すことはほとんどないのだが縁があって今回ご飯を食べに行くことになった。そしてご飯会に向かう途中で彼が話した何気ない内容が個人的にすごくツボった。
なんでみんな海に入ろうとするの?
普通の会話なら、泳ぐのが苦手、ウェイが沢山いるあの空間が嫌だ、単純に海が嫌いぐらいを想像するだろう。無論僕もそういうことなんだろうと思っていた。
なんで?
よくある返しだ。すると彼は言った。
せっかく海でしか生きられなかった生き物が生命の進化で陸に上がっても生活できるようになったのになんでまた海に戻ろうとするんだろう
完全に頭おかしいなと思った。けど、すごい好きな発想だった。
確かにわざわざ海に入る必要はないし、入ったところで海を捨てた我々は鮫やクジラにはどう頑張っても勝てない。なのにそんな鮫やクジラのいる海に自分から進んで、しかも楽しそうに入るなんておかしいよと。ほんまや。
気づいたら僕は彼にハマっていた。それと同時にオマケながらに生命の海から陸への移り変わりに対する知識が曖昧なことにも気づいてしまったのでつい調べてみた。
調べたところによると、細かいところは省略してそもそもは魚類の一部が両生類に進化して陸に上がってきたみたいだ。いわば人類はもとを辿れば猿ではなくもはや魚と言っても過言ではないのか。それなら鰓呼吸の機能は残しとくべきだっただろう。
ツッコミ出したらきりがないので続きに戻る。
その後、両生類は爬虫類と哺乳類に派生するそう。小学校理科でやった記憶が蘇る。
...突然で申し訳ない。今あるサイトを開きながら軽い引用を含め記事を書いているのだがこのサイト、少し雰囲気が怖いので(ブログを書いてる時間帯のせいかもしれないが)ここら辺でやめておく。気になる人は下にリンクを貼っておくのでみて確かめてほしい。地球の始まりから行き着くところまで書いてあるみたい。ちなみに僕は猿人が出てきたあたりでギブアップした。
話がだいぶ飛んでしまったが、多分彼は海が嫌いなんだろう。それの理由づけのために面白トークをしてくれた。このネタはいろんな人に話しているらしい。
22年間生きてきてそんな発想は全くなかった僕にとっては衝撃的で、しょうもないかもしれないけど今年一番の小笑いを飾った話だった。
僕もこの話を自分で思いついたかのように人に言おうと思う。もちろん切り出しはこれだ。
海に入る人って意味がわからないよね
ちなみに彼はその後には歯が1回しか生え変わらない事に対して疑問を提唱していた。
人間の身体はこんなに素晴らしくできている(音が聞き取りやすいように構造がなされていたり、咀嚼しやすい口の形になっていたり)のになぜ歯は一度は一度しか生え変わらないのか。折れた時用のスペアが必要でしょとの事らしい。
完全に頭おかしいなと思った。けど、すごい好きな発想だった。
脳内ワールドからさっさと飛び出したほうがいい
そこのゼミに行く理由はなんでもいい。が、2年もしくは3年はその教授の元で最低でも週1回学ぶことを忘れないように。
ゼミ選びが2年生のこれぐらいの時期から本格的に始まって悩んでいる人は少なくないと思う。
多分選び方は、友達が行くから、サークルの先輩がいるから、教授の講義を受けて分かり易かったから、卒論が簡単だから、これくらいかな。
それぞれフォーカスを当てている部分は友達、先輩、教授、クリア難易度、といったところだろうか。
僕は理工学部だから名目上研究室配属だけどゼミとなんら変わらない。教授も「次回のゼミは〜」と言っている。名前に意味はない。
そこの研究室に入った理由は大したものではない。
決められたテーマの中で興味を持ったのがORで、佐々木の文字がたまたまあって一次選考でたまたま通ったからだ。別に鈴木でも三浦でもよかった。一次選考が通らなければ別の研究室を希望していたかもしれない。本当のことを言うと、そもそもそんなに考えている人はいないのではとすら思ってしまう。
考えている人はいないけど、悩んでいる人は少なくない。
悩んでいる人は一見考えているようにみえるけど蓋を開けてみるとそうでもないと感じることがある。
同じことを1ヶ月も2ヶ月も言っている人は2ヶ月目には悩んでいることを人に発信することに快感すら覚えているし、結論を出さないところに結論を持ってきている。多分その人は次の月も同じことで悩んでいる。仮にイエスかノーを出すなら無理やり何かに引っ張られる意外のケースではノーにするだろう。イエスという結論を持ってくるならもっと早くに決まるはずだし、人間は判断を遅くすればするほど何もしないことを選ぶ傾向がある。
しかし、イエスを選んだ結果ノーの方が良かったかもしれないと思うのを恐れて悩むことがよくあるのも理解ができる。逆も然り。
どっちがいいかなとみんなに聞いて回ったり、研究室訪問で数十分の間教授やそこのゼミの先輩と話したり。しかし、僕は言いたい
そんなもので何がわかるかと。結局は運。
そんな言い方は非常に投げやりで、一部から非常に反感を買いそうだがあえて、はっきりと言い切りたい。
今回の話で例えると、AとBのゼミがあったとして、Aが楽しかったからAで良かったと結論づけることはできるがBよりAの方が楽しいから良かったと言い切ることはできない。Aに所属するとBを体験することはできないからだ。もし何か言えるなら「Aに入ってみたら楽しかったから、良かった」だ。
Bに入った人からBが面白くないという話を聞いたとしも、その人がつまらなかっただけで他の人は楽しいと感じることもあるので一概に鵜呑みにするのは必ずしも良いとは言えないだろう。
だから、そんなに気にしなくていいと思う。これはゼミ選びに限ったことではないが何かを決断する時に普通以上の悩み方をする人がいる。散々考えてわからないわからないとするより一度合ってるか間違ってるかもわからないところに飛び込んで見るのもいいんじゃないか。脳内ワールドからインプットは得られない。
なんとかなるようにできている。さあ、行動だ。
ちなみに僕の研究室は10月の月火木金の昼休みに研究室訪問あるらしいので、気になる方はぜひ。
動物の気持ちなんてわかってたまるか
バイトが終わって家に帰る。鍵を開けて扉を開けようとすると横に一匹の猫がきた。
ああ、またコイツか。
夜の玄関ではたまにコイツに遭遇する。
コイツは向かいの家の猫で飼い猫なわけだが、外に追いやられているのか家から勝手に出て入れてもらえなくなっているのかわからないがよく外にいる。
人間以外、もっと言えば自分以外の生き物に対して好意的ではない僕は勿論コイツのことに関心はない。けど今日は気が向いたと言えばいいのかわからないけどコイツに付き合うことにした。
玄関の段差に腰をかけ、猫に話しかけてみる。さっきまでニャーニャー言っていた猫は僕の言葉には耳を傾けない。反抗期か。
まあいいか、と思い適当に話しかける。家に帰りたいのか、お腹が空いているのか。人が恋しいのか、寒いだけなのか。
質問しても帰ってくる言葉はない。ニャーくらい言ってもいいだろう。そんなことを思いながら時間は過ぎてゆく。
時折、ニャーとコイツが言うときは大抵僕が話しかけていない時だ。言葉が通じないのだから返事をするのは僕が質問した時だけにしてほしい。
もし猫と意思疎通ができたら、と考えてみる。もし仮にもそれができるのなら僕は無意味な質問をする必要はないし、猫だって家に帰りたければ帰りたいと言えばいい、お腹が空いたならご飯よこせと言うだけでいい。
たったそれだけのこと。そんなこともできないから猫や他の生き物と話すことなんて滅多にないけど、今日は話してみた。
僕が動物を嫌っている理由と言ってもいいことがそういうところにある。彼らは僕と意思疎通ができない。どれだけ頑張っても。
たまに動物と意思疎通ができる風の人がいるが僕は信じていない。少なくとも僕の目には、そうは見えない。
ある状態に「喜び」という名前をつけたのは人間であり、それを猫に当てはめるのは価値観の押し付けではないだろうか。
その状態の時に猫は悲しんでいるかもしれない。
嬉しい時に人は嬉しいといい、悲しい時に人は悲しいということができる。が、
猫は、嬉しい時も悲しい時もニャーというしかない。
コイツが何を考えているかなんて考えても無駄だし、何を考えていたとしてもいまの僕には限度がある。よって何もしない、深入りしない。
そんなことを考えていると、僕は話の通じないコイツといる時間はとても苦手だが、たまにならなしではないかなと思った。
コイツが僕の方をみて、僕も見つめ返す。コイツが離れていって、僕が話しかける。コイツが近づいて来て、温度を手で感じる。
悪くない。
10年以上ぶりに猫に触ってみた。横に来たから触っただけだけど、コイツは普通に暖かくて脈を打っていた。コイツも生きているんだなと思った。無論何を考えているかはわからないけど。
今日はやることがあったので飼い主の家にコイツを返してお別れすることにした。コイツの飼い主のお家は基本的に鍵がかかってないのですぐに返すことができた。
家に帰りたかったかはわからないが風邪を引くよりはマシだろう。これも主観でしかないが。
僕といた数分間彼が何を感じたのかは知らないし知る余地もない。し、知る気もない。ただ、アイツ悪い奴でもねえなと思ったのでアイツもそれくらいは思ってくれているだろうか。
今度会ったらもう一回話しかけてみよう。わかりきっている返事が待ち遠しい。
大学生のブログ覗き見していいぞ
ブログを開設してみた。
既に別のブログはあるが、色々書き記したくなると一つのブログではジャンルが絞られてしまうので。
このブログは完全に殴り書き、構成もクソも何もない。
一周回ってクソ説は大いにある。
思ったこと、起こった出来事、想像の未来までつらつらと書いていきたいまである。
例えばツイッターで呟いたことを引用含めもう少し深いところまで考察してみるとか、友達と話した内容について自分の意見を独り言のように書いてみたり。
日常をブログに写しただけなのでわかる人にはわかってしまうかもしれない1ページを、みる人全員で共有できたら面白いんじゃないかな。情報は大いに越したことないでしょう。必要なかったら切り捨てればいいだけやし。
そんなわけでとりあえず投稿しないことには報告できないので今文章を書いてる。
時刻はam1:47、音楽はCharlie PuthでLA Girls。
英語全くできないので歌詞の意味はわからないけどなんかロサンゼルスの女の子たちのことを書いてるっぽい。LA Girlsとエロい感じにCharlie Puthが歌っているのでエロ系の歌詞だと勝手に想像する。
ここでやっと和訳を検索してみる。
There was Nikki, Nicole, Tiffany, and Heather
ニッキー、ニコール、ティファニー、それにヘザーもいたな
But there's only room for you in my world (only room for one)
でも僕には君のためのスペースしかないみたい(たった一人だけのスペースさ)
But you say that I change like the East Coast weather (oh)
でも君は言ったんだ「あなたは東海岸の天気みたいにコロコロ変わるわ」って
How the hell did I get caught up(caught up) messin' with these LA girls?
一体何で僕はLAの女の子達に手を出して、ダメになっちゃったんだろう?
こんな歌詞があってこんな和訳、エロ系の歌詞ではなかった。これニッキーとか外国の人の名前やから何も思わないけど日本人名でも綺麗に曲になるのかなと考えている。色々当てはめてね。
僕はその時聴いている曲はその人の心境を少なくとも少しは表していると思っているタイプ。音楽は聴く人によって感じ方は違うので表す心境は無限大だが。
英語でも関係あるのか、ないのか。真相は無意識下にしかないので変に探らず。
気づいたら2時も折り返し。眠くなってきたから寝るのもいいけど、とりあえずおふろ入ろうかな。
バイトで染み付いたお肉の匂い消そう。